今年、会えて嬉しかった№1の女性“金 洪仙(キム ホンソン)さん”をご紹介します。

2009年12月30日 12時46分 | カテゴリー: 活動報告

★いつも出会いを大切に生きる女性★

狛江・生活者ネット主催の「在日朝鮮人として、障がい者として生きてきた私」に参加して、お話を伺いました。自分は自分のためだけに生きているのではなく、誰かのために生かされていると考えるようになりました。

■昨日までの自分と今日の自分  —中途障がいの苦しさ—
金洪仙さんは1951年広島生まれ。大阪の「朝鮮人集落」で生活。中学1年の夏休み、お兄さんのプラスチック工場で両手切断事故に遭い、中学は卒業していません。中途障がい者となり、現実の自分が受け入れられず、引きこもった時期があったと言います。当時、流行っていたペンフレンドとの文通だけが生きがいの少女時代。手紙だけやり取りだから、日本名を騙り「朝鮮人・障害者・学校にも行ってない」ことも隠しながらの文通。しかし嘘の上塗りの苦しみから、本当のことを伝えて離れていった多くのペンフレンド。その中で残った友達との暖かい出会いと交流。この時「良い日本人もいる」と感じたそうです。

■自分自身の開放
18歳の時に、「大阪文学学校」という私塾に入学。ここでは小説、詩、エッセーなどそれぞれの創作を持ち寄り、合評するのですが、ある時「ミロにヴィーナスはなぜ美しいか」というトルソーの話で、「自分は特別ではない」「皆と同じでなくていい」「私は私で生きていい」と思うことができた瞬間があったそうです。
また金洪仙(キム ホンソン)という本名を隠していた彼女が、ここで同じ名字の詩人の金時鐘(キムシジョン)を知ったことも大きな転機。金時鐘は日本の教育史上初めて朝鮮語が公立高校で正課にとりあげられた1973年に、日本の公立高校、兵庫県立湊川高校の朝鮮人教師になった人です。皆にきれいな響きの名前だと褒められたことで、自分で自分の殻を作ってきたことに気付いた。名前を本名で呼ぶことで、人として開放されてきたそうです。
23歳の時、高槻市朝鮮人子ども会指導員となり、差別や生活に苦悩する子ども達や親との関わり方、職務姿勢が認められ、9年後には高槻市の国籍条項撤廃、正式に職員として採用され、11年間務めたという経歴もあります。
家族は日本人の夫と2人の息子。出産祝いにマジックテープの産着を作ってくれた子ども会指導員時代の家庭科の先生こと、伊万里炭坑の朝鮮人強制連行の事実を探る時に知り合った作家上野英信氏との出会いなど、人との関わり、心の交流をいつも大切に生きてきた金洪仙さん。生まれながらプラス思考で明るい性格なのか、それともこれまでのさまざまな人生から滲みだしてくる人格なのか。生きる力強さをオブラートに包み込んでいるような優しさがいっぱい溢れているのです。
現在、大阪国際大学で非常勤講師として「人権教育論」を教えていらっしゃいます。理屈理論ではなく、人と人がしっかり向き合って接すれば、人種の違いや障がいなど関係ない!と感じました。生き辛さを抱えた方にぜひ会ってほしい女性です。

「ピアスは?」の質問に「つけるのは、息子の役目よ!」人生を楽しむことを忘れない素敵な女性。話が尽きることはなく、2時間があっという間でした。

■最後に彼女の一言
「会いたい人には、会える時に会っておくしかない!」

みなさま、よいお年を迎えください。